何事にもチャレンジ!波乱万丈の人生航路

就活生の皆さま、こんにちは!
私は、現在岡山市内でリラクゼーションサロンのオーナーをしております。
まずは、私のプロフィールですが昭和39年3月9日に岡山県南部の玉野市で生まれ、「ユイ・コミュニケーション・ラボ(株)」代表でアナウンサーの多賀公人さんと幼稚園から高校まで同じ学校で過ごしました。


生年月日が昭和39年3月9日、「サンキュー・サンキュー」だけに、母親からは「“ありがとう・ありがとう”と常に感謝の気持ちを忘れない人になってください!」と言われて育ちました。「なんて覚えやすいいい日に産んでくれたんだろう」と母に感謝です。今まで複数の職業を経験していますが、「どんな仕事であっても感謝を忘れずに!」がモットーかな。
高校卒業後は、香川大学経済学部管理科学科に進学いたしました。その当時は経済学部でコンピューターのプログラムを学べる新設学科で、将来はどんな企業でもコンピューターが必須になるとの考えで進学先を選んだ記憶があります。現在のようにWindowsとかも存在せず、フォートラン言語でのプログラミング授業では、紙のマークカードというものを読み込ませてプログラムを作成していくという、今では考えられないような時代でした。そして、ゼミではC言語についても習い(もうスッカリ忘れましたが・・・笑)、AI(人工知能)についても勉強しました。今から30年以上前のことですので、就職希望先での面接での質問の際「人工知能って何?」という質問を良くされたのを覚えています。そして、あまり深堀されることは無かったですね。今ではAIと言えばほとんどの方がイメージできる時代になりましたが・・・。今私がオーナーをしているサロンのオールハンドセラピストの募集では、「様々な業種でAI化が進んでいますが、セラピストというお仕事はAIにはできないお仕事です」というフレーズを使っています。これからはコンピューターの時代と思い大学でAIを学んだ私が、今はAIにとって代わる事が出来ないオールハンド施術で手に職を付けたいと思っている人を雇用しているというのは、皮肉なものですね。
このコラムを読んでいただいている皆さんは、当然「就活」のことが一番ではないかと思いますが、私の場合、大学時代に一番打ち込んでいたのは、「就活」ではなく「部活」でしたね。(笑)80人程度の部員が居る、大学の中でも大所帯のマンドリンクラブでベース(コントラバス)のパートリーダーをやっていたのですが、とても人間味溢れる先輩や同級生の仲間が多く、酒を飲みながら朝まで語り明かすことも多かったので、コミュニケーション能力を高めてくれる素晴らしい部活だったと思っています。
当時は、インターネットもない時代でしたので、「就活TV」のような素敵なサイトに出会うこともなく、就職の内定した4回生のサークル先輩やOBに就職相談をさせていただくことが多かったことを思い出します。当時、公務員になった先輩もお一人おられましたが、銀行や証券会社、商社などに就職された先輩が多かったので、自分の希望も知らず知らずにそうした企業へ向いていったような記憶があります。

また、学費や生活費を捻出するため、居酒屋や家庭教師、スーパーの駐車場での警備、地下に走っている電話線への防火塗料を塗るアルバイトなど多くの経験もしました。大学時代のアルバイト経験はその後の人生にかなり役に立ったと思っております。
「就活TV」をご覧の皆様は「自分がこれからどんな仕事に就き、将来どんな人生を送るのだろうか?」と希望と不安の混在する時期だと思います。私の場合、大学の4回生になっても、正直自分が何をしたいのか明確な目標は見つかっていませんでした。その中でスタートした就活。インテリア関連の商社や金融機関などに応募し、5社ほど面接に行きました。結果としては、当時から就職先として人気の高かった金融機関とインテリア関係企業からの内定をいただくことができましたが、将来性や安定性を考えて金融機関へ就職することを決断いたました。当時、公務員という職業は私の選択肢には無かったのです。
金融機関に就職して2年目の冬、自然気胸という肺に穴が開く病気で手術入院をすることに。入院して急に暇を持て余したせいか、病室で今後の事をいろいろと考えるうち「インテリアの仕事もやりたい」という気持ちが大きくなり、退職を決意。退職後はすぐに大阪へ引っ越し、インテリアデザイン専門学校へ入学し学び直しをしました。卒業後は、大阪のインテリアメーカーに就職。ここで転職の目標は達成したのですが、就職後2年した頃、同じ社宅に住んでいた同僚のタバコの火の不始末で社宅が燃え、そこに住んでいた社員は全員引っ越ししなければならない事態になりました。そんなハプニングの後、父が脳梗塞で倒れたという知らせが入り、Uターンを考えることに・・・
そのタイミングで「市役所で中途採用の募集があるから考えてみたら」という母からの電話がきっかけとなり、地元へUターンしての就職活動を開始いたしました。市の採用試験は応募年齢の引き上げもあったせいで、かなり狭き門でしたので、公務員だけではなく民間企業の求人探しも併せて行っていました。しかし、中途採用となると自分の希望条件に合う企業は少なかったですね。
市の採用面接では、「大阪と地方の比較、民間企業での経験を元にして市の街づくりの企画やデザインの勉強が活かせる業務もしたいこと」などをお話しいたしました。 もちろん公務員試験の勉強はしたのですが、採用内定までは不安な日々でしたね。
大学卒業後の紆余曲折の数年間の後、大学時代には考えてもいなかった公務員生活がスタートすることになったのです。
初の配属先では、市民の意見を聴き、市の施策を分かりやすく市民にお伝えするための広報紙作りが主な仕事でした。それまでB5の白黒版だった広報誌をA4カラーにする最初の担当者となり、紙面デザインの変更も任せていただくことができました。文書作成は原稿用紙に手書きで書いていくスタイルでしたので、まずは業務効率アップの為、段組み編集可能な東芝のRUPOというワープロを自費購入。これは、かなり業務改善につなげることができましたね。また、当時は課の隣に現像室という狭い暗室があり、各種行事で撮影した写真のフィルム現像からプリントまでやっていました(今はスマホで撮影した写真をその場で確認でき、すぐにインスタグラムに投稿できるという時代ですから、皆様には信じがたい業務だと思います。)ので、非常に面白くやりがいのある部署でした。また、広報紙の作成ができる部署への配属は、市全体の業務や施策を勉強する上でとてもありがたい部署でした。
入庁後3年が経過してからは国際交流に関係する部署へ異動。私の公務員人生の中で最も長期間携わったお仕事です。市の業務としては新しい仕事だったので、大変やりがいのあるお仕事でしたが、同期入庁の職員が人事異動によって基礎的自治体として行う住民登録や税、福祉などの知識を身に付けていく中、いつになったらそうした部署へ異動するのだろうかという不安もあった時期です。
ちょうどその頃、米国人女性と出会い国際結婚することに。私の人生の中でも想定外の大きな出来事でしたが、Uターンしていなければこの出会いは100%なかったので、「仕事で人生が変わる」と言っても過言ではないですね。市の国際化には妻もかなり無償の協力をしてくれ、私の仕事を支えてくれたので、本当に感謝しています。私が公務員を退職した今でも県内の自治体や学校、観光推進団体などから翻訳や通訳の依頼を受け、深夜まで頑張っている姿を見ると、私もまだまだ挑戦する人生であり続けたいという思いです。
話しを戻しますが。国際化推進業務の後、保険や商工業、観光、住民登録や子育て支援、税務、議会、会計に関する業務を所管する部署を順次異動。それぞれの部署での思い出を書くと長くなりすぎるので省略させていただきますが、異動する毎に周りで働くメンバーも変わり、新鮮な気持ちになれるのが私にとっては良かったですね。ただ、異動するたびに新しい仕事を覚えなければならないので、対人関係が苦手な人にとっては、異動はかなりストレスのかかるものです。就活中からコミュニケーション能力をしっかり高めていかれることをおススメいたします。そして公務員になった暁には、どの部署に配属になっても常に他の部署でやっている業務に興味を持ち勉強していくことは必要でしょうね。
子供から高齢者、そして外国人まで、色んな年代や異文化の人と関わりを持ち、話しを聴くことでどんな施策や政策が必要なのか、地域のためにやらなければならないことは何なのかが見えてくることが多いので、公務員を目指す方は、試験勉強だけでなく幅広い方とコミュニケーションを持つ機会を大切にしていただきたいと思います。
公務員の採用面接や入庁後の自己紹介で「自分が産まれた地域と住民の為に貢献できる仕事なので公務員を志望しました」と回答する人は多いのですが、「本当にそう思ってるの?」と感じてしまう人も少なからずいます。コロナ禍での就職活動ですので、「給与や待遇面で安定しているから志望しました」というのが本音の人も多いと思いますが、面接官にとっては高得点は付け難い回答でしょうね。
例えば、今の皆様はコロナ禍でのマイナス経験もお持ちかもしれませんので、その時感じたことを元に、どのような施策があれば学生やコロナ禍で困っている人が住み続けたい街になるかといったことを一度考えてみてはいかがでしょうか?体験を元に「こんなアイデアがあるので、この街で実現に向けて動いてみたいと考え公務員になることを志望しました」とアピールすれば、ありきたりの志望動機から好印象の動機になってきますよ。そのためには、地球温暖化、少子高齢化、コロナ対策など今日本全体が抱えている大きな課題、そして人口減少や公共施設の老朽化、災害対策など地方自治体が抱える課題に目を向け自分自身の意見を持つことが重要だと考えます。是非、テレビのニュースや新聞、志望する自治体が発行している広報紙やホームページに目を向け、今国や地方自治体が何をやっているのかを知り、自分の考えや意見・課題解決のアイデアを持って公務員試験に望んでください。
それでは、皆様の就職活動が実りあるものになることを願っております。
岡山県玉野市出身(幼稚園から高校卒業までアナウンサーでキャリアコンサルタントの多賀公人さんと一緒に玉野で育ちました)
生年月日 昭和39年3月9日
香川大学経済学部管理科学科 卒業
大学卒業後は金融機関へ就職。(自然気胸で入院中に自分の生き方について見直し)
インテリアメーカー(大阪)を経て、父の介護を機にUターン就職。
募集年齢引き上げで、運良く採用試験を受けることができ、平成4年玉野市役所入庁。
広報、国際交流など多くの部署(その他保険、商工、観光、住民、子育て支援、税務、
議会、会計)を経験
米国女性と結婚
公務員退職後、令和2年11月岡山市内でリラクゼーションサロンの経営スタート
貴重なお話ありがとうございました。宮田さんの今後のトレンドを先読みして備える姿勢と、現実に起こっていることに対応する柔軟性を今後のキャリアの参考にしたいと思いました。市役所のお話を具体的にユーモアを交えてお聞かせくれたので、今まで念頭になかった公務員の業務にも興味が湧いてきました、自分は何が本当にしたいのかを考えて就活に臨みます!ありがとうございました。
返信が今頃になったことをお許しくださいませ。
公務員も事務職や技術職、保育士、消防士、警察官など様々ですが、今後の就職活動に少しでもお役に立てれば幸いです。
是非、社会人としてのスタートに向けて悔いのない様頑張ってください!
素敵なコラム、とても楽しく読ませていただきました。私もコミュニケーションが好きで様々なことをチャレンジしてみたいタイプなので宮田さんの生き方はとても憧れますし、参考になりました。特に、インテリア専門学校に夢のためにいくもUターンし視野にはなかった公務員に就くという経験談は、最近思い通りに自分の人生が進んでいなくて悩んでいる今の自分にはとても励みになりました。また、思い通りに行かなくてもその先に面白い未来を見ることができるという希望を持つこともできました。これから私は就活を始めますが、宮田さんのコラムを活かして自分に合った良い会社に就職できるように頑張ります!ありがとうございました!!
返信が大変遅くなり誠に申し訳ございません。
私の時代と変わり、今は転職も世の中全体がポジティブに捉えてくれるようになっていますので、失敗を恐れず前向きな就職活動を行ってください。自分の人生がどうなるか予測不可能な部分もありますので、「山あり谷ありでもそれを楽しむ気持ちを持ち、他人と比較しない」ように生きていく方が楽しい人生になるというのが私の考え方です。
これから社会人としてスタートしていく中で様々な悩みにぶつかることもあると思いますが、そんな時は私のコラムを思い出して「どうにかなるさ」という気持ちで前向きに進んでくださいね!
コラムの中に書いて合った志望動機の内容のアドバイスがとても参考になりました。最近は暗いことが多い社会事情は目を背けたくなることが多々ありますが、その中でより良い社会を構築していけるような人材になるためにも何ができるの懸命に考えながら日々をすご明日と思いました。
返信が大変遅くなり誠に申し訳ございません。
公務員の仕事は本当に幅広いので、日々何気ない自分の行動で困りごとは無いか?友人やご家族の悩みを解決する方法や手段がすでに行政施策で整っているか?などに目を向けながら生活していき、「自分が公務員になったら、この制度を変えようとか、この施設をどうにかしたい」など、問題意識を持ちながら就職活動していくといいのではないかと思います。もちろん公務員になってもそうした気持ちを忘れずに仕事をしていけばやりがいも出てくると思います。微力ながら、今後の就活のご参考にしていただくことができたことを心より嬉しく思います。
コラムの中に書いて合った志望動機の内容のアドバイスがとても参考になりました。最近は暗いことが多い社会事情は目を背けたくなることが多々ありますが、その中でより良い社会を構築していけるような人材になるためにも何ができるの懸命に考えながら日々をすご明日と思いました。
今まで公務員に固いイメージがあったのですが、部署の移動が多いということでアグレッシブだと感じました。
人と関わる仕事に興味があるため、公務員も視野に入れてみようと思いました。