就活生の皆様こんにちは
私は大阪で不動産業を営む享代グループの一つ、享代レジデンス株式会社の代表取締役、武田泰治と申します。
現在、不動産会社の代表を務める私ですが、当時は自動車関係の仕事につきたいと思っていました。
そんな私の就職活動は失敗と挫折の連続でした。就職活動中の皆様に向けてということで、私自身の就職活動の経験と自動車関係の仕事につきたいと思っていた私が不動産会社の代表になるまでのお話を少しさせていただこうと思います。

■高校卒業まで
学生時代に時を戻します。
私は、高校生まで愛媛県の小さな島の小さな学校に通い育ちました。
当時、F1レース好きの友人と深夜テレビで見たレースの内容を学校で話すうちに、私もF1レース好きになりました。私が見ていて特に興奮していたのがピット作業のシーンです。
F1レースはコースを何週も周回するのですが、長いレースの中では当然、燃料の補給やタイヤ交換などが必ず1、2回必要になります。平均時速200㎞以上のスピードで走りコンマ1秒の差が大きな差になるF1レースにおいてはこのピット作業の秒数や回数がレースの行方を大きく左右する事になります。
F1レースはどうしてもドライバーに注目が行きがちですが、レースに勝つにはチームの戦略や各ポジションのスキル、チームワークが非常に大切になってきます。何気なく見だしたテレビから次第に「将来はこんな風に自動車に携わる仕事をしたい」と思い進学を考えるようになりました。高校2年の秋くらいだったと思います。
当時の私の田舎では(私の感覚ですが)、高校を卒業すると地元で漁師になったり地元の企業で働く人が半分、なんとなく進学する人が半分、そして進学組の多くが中四国の大学や専門学校に行き、少しでもいい会社や工場に勤めれたらいいなぁという感じだったと思います。
もちろん私も、卒業したらなんとなく広島か岡山の専門学校に行き、なんとなく良い会社に就職できたらなぁ、という程度にしか考えていませんでした。
こんな考えの私ですから、もちろん勉強なんかしているわけもありません。
何処に進学すればいいのかも分かりません。インターネットもない時代です。自動車にかかわる仕事をしたいなぁと漠然と思いながらも、どのように調べればいいのかも分かりませんでした。
当時、担任の先生に相談すると、自動車の事を学ぶ事ができ、私の学力で進学できそうな学校を紹介してくれました。1つが短大、もう1つが専門学校でした。
親に相談すると、行くなら専門より短大でも大学とつく方がいいねぇ。と言われ、大阪の短大を受験することにしました。受験は無事合格し、晴れて、大阪の学校に進学することになりました。

■短大生時代、就職活動時代
3月の末に愛媛から大阪にやってきた私は驚愕しました!
ありがたいことに仕送りを頂いていたのですが、大阪に来て2日目。 何気なく家賃、光熱費・・・と計算するとお金が足りない・・・。翌日、即コンビニでアルバイト情報誌を購入し面接に・・・。
そこからの学生生活は自動車の事を学びながらアルバイト漬けの日々・・・。
あっという間に2回生になっていました・・・。2回生になると仲間内で就活の話が主流になりだします。
就職活動は実家の愛媛に近い広島(マツダ関連の企業)を中心に行う事を希望していましたが、そこでまず躓いたのが、どうやって就活をすればいいのか?という点でした。当時は今と違いインターネットで簡単に情報が手に入らない時代、学校に企業説明に来てくださる企業もあるのですが、近畿圏の話が中心で、まず他府県の情報は入って来ませんでした。これにはさすがに参りました。
困り果てた末、企業説明会の時に全国の企業リストと電話番号の書かれた分厚い本を頂いたのを思い出し、自分で各企業に直接電話して「募集をしているか?」「説明会はいつ頃か?」など質問し、説明会をしている企業に予約を入れる事ができ、やっとの事で就活スタート!・・・のはずでしたが、説明会に行き、またまた驚愕!
短大卒では自分の希望の部署(設計や開発など)の募集はなかったのです・・・。
この時はじめて、自分が思い描いていた世界は自動車の事だけでなく、大学でもっと詳しく機械工学についても学ぶ必要があったのだという事を知りました。
ショックでした・・・。
それでもめげずに就活を続けた結果、広島で2件、岡山で1件の内定を頂く事ができました。
ただ、3社とも自分の希望する設計や開発などといった部署ではなく、大阪から電話してきて就活をしているという行動力を評価され、職種は営業での内定でした。
内定を頂いたのが夏位だったと思います。

■就職後~現在
当時は終身雇用が主流の時代。将来のイメージがどうしても出来ず、頂いた内定は全て辞退させてもらいました。そして、そのまま卒業を迎える事に・・・。
卒業後、生活するにはお金が必要なので大阪で募集している企業でなんとなく働く事になりましたが、目標・目的が持てず会社を転々とする日々が2~3年続きました。
どの会社も、営業職なら雇ってくれました。色々売りました。それしか仕事がありませんでした。ただ、そのうち「どうせ営業するなら営業を極めたい」と思うようになりました。
何を売るのが難しい?何を売る方がお給料を沢山もらえる?何を売る方がかっこいい?
自問自答もしましたし、色々な情報も集めました。いろいろな営業を経験し、自問自答を繰り返す中でなりたい自分のイメージが湧いてきました。
「不動産しかない!!!」
新たな目標ができました。
就活の時に将来のイメージを持てなかった営業職で新たな目標ができたのです。
学生時代に憧れていた職業には、情報も学力も足りず、なることが出来ませんでした。
けれども生活の為に仕方なくやっていた営業という仕事も「自分には営業しかない!」と思えた事で「なりたい自分のイメージ」が出来るようになり、今では、会社の代表を務めるまでになることができました。

■学生の皆様に向けて
当時の自分の話を書いていると恥ずかしくなります。
読んでいただいている方の中には、ほんとにそんな奴いるの?と鼻で笑われるような話かもしれません。
私が就職活動をしていた当時と現在では時代背景も大きく違うかと思いますが、私のようにやりたい事ができなかったり、なりたい様になれなかったり、能力も資格も覚悟もあるのに募集が無いようなこともあるかもしれません。コロナ時代、自分の努力ではどうにもならないこともあるかもしれません。
でも、そんな中でも自分と向き合い、突き進むことができれば、自分に向いてるものが見つかったり、目標が明確になったり、なりたい自分に近づけたりすると思います。
私の体験談が皆様の就職活動や今後の人生に少しでもお役に立てば幸いです。
最後までお読み頂き誠にありがとうございました。
今回のお話を読んで、今思い描いている未来は変わることもあるのだなと少し安心しました。私には目標があり、それを達成するために現在就職活動をしていますが、正直、今まで生きてきた21年を根拠に将来を決めないといけないということにプレッシャーを覚えていました。
ただ、武田さんのお話を読み、実際社会に出て、自分に適していることは何か、また、自分がしたいことは何かを見つめ直すことができるのだと思いました。人生の方向転換はいつかするかもしれないけれど、今の私にできる最大限のことを考えていきたいです!
ありがとうございました。
昔からの夢であっても、さまざまな要因によって実現させることができないということは珍しくないことだと思います。そんな時、ただ愕然とするのでも、やりたくないことを嫌々するのでもなく、自分と向き合うことが大切だとわかりました。自分自身を理解して、自分が思う通りに突き進むことができれば、新たな発見があり、なりたい自分に近づけるとわかりました。
これから始まる就活や、先の人生では思い通りにならず、方向転換しなければならないこともあるかもしれませんが、自分にできることは何か?を考えて進んでいこうと思いました!ありがとうございました。
とても波瀾万丈?な人生でたくさん挫折をしながらも強く生きているところに勇気をもらいました。私も思い通りにいかないことや、思っていたことと違って悔しい思いをしたことがなん度もあります。それは次に繋がる糧だと思って、武田さんのように強く生きて自分が楽しく真剣に向き合える仕事につけるようになりたいと思いました。就活頑張ります!
私は元々目標があって大学を選びましたが、今となってはその目標も薄れています。それに気づいた時には「受験期はあんなに熱意を持っていたのに」と前の自分とのギャップを感じてむなしくなりました。しかし武田さんのコラムを読んで、元々目指していたものとは違っても今の状況の中でどうやって自分に向き合うかが進む鍵だと学ぶことができました。前の目標とは関係ないことでも今の自分がぼんやりと興味を持っていることに対して前のめりに行動してみようと思います!