就職活動を振り返り「紆余曲折あったな」と思います。
私の初めての面接は10月、フジテレビの面接からでした。
観光大使をしていたこともあり、漠然とテレビ局で働きたいと思う中で、試しに出してみたエントリーシート。アナウンサー試験だったので普通の証明写真だけでなく、上半身、全身、動画も提出しました。本当に手探りで、「これでいいのかな」ととても思いました。

無事に書類は通過し、面接会場に足を運びました。周りは綺麗な人ばかり、ネットで見たこともあるような人もいました。全身白いスーツでキラキラしている人たち、とても場違いではないかと思いました。結果は残念。初めての面接はいとも簡単に散りました。
はじめの面接の結果から、「どうせ大きな放送局は受からないだろう」と思い、他のキー局、準キー局は総合職もアナウンサー職も受験しませんでした。
そして3月になり、地方テレビ局のエントリーが始まりました。
総合職も受験したかったのですが、テレビ局のエントリーシートはほとんどが手書き。毎日書いても、書いても終わりませんでした。また特殊な質問や、その土地についての思いも記述する欄があり、いつも私とその土地についての共通点をひねり出し、無理やりこじつけていました。幸いエントリーシートの通過率は思っていたよりよく、行けるのではないかと錯覚してしまいました。
エントリーシートの段階は終わり、次は面接。話すことが好きなので対策をしなくて大丈夫だろうと話すことに関してあまり対策はしませんでした。また、新型コロナウイルスが流行し、リモートですることがほとんどでした。先輩から交通費で数十万円もかかった事を聞いていたこともありラッキーと思いました。また、面接ではパソコンの横に保険でカンペを用意したり、顔色をよく見せようとライトを当てたりと、コロナ禍ならではのリモート面接対策を少し施しました。
面接官もリモート面接が初めてであるからこそ、双方がぎこちない。こちらが環境を整えていたにもかかわらず、何度か映像や音声の接続が悪くなったことがありました。すごくやれないなと感じることも多々ありました。
7月までに何度か最終面接に呼ばれることはありましたが、1人や2人といった若干名の枠。なかなか受かりませんでした。
マスコミ業界しか手を出していなかったため、他の業界も見てみようと思い、人と話すことや相談に乗ることが好きだったので、8月からはマスコミ業界にいったん区切りをつけ、コンサルティング会社の受験をはじめました。
アナウンサー試験を受けていたこともあり、リモートでの面接でも「笑顔でハキハキ話しているね」と受けがよく、とてもありがたいことに、初めて受けた会社で初の内定を頂きました。もう内定を頂いたので、マスコミ受験は終わろうと就職活動を終えました。
しかし、11月、観光大使を担当している方から「テレビ局の学生リポーターを探しているみたいだからどう?」と声がかかりました。

就職活動もちょうど終わっていたため、友人を誘い、二つ返事で了承しました。
実際にカメラの前に立つといった経験は何度かあったのですが、食レポをすることやロケをすることが初めてで、とても楽しかったです。
また同行してくれた方が大変面白く、東京でのAD経験、転職して地元の放送局に戻ってきたことなど就職活動についてたくさんお話してくれました。話を聞いているうちに「やっぱりマスコミで働きたい!」と強く思いました。
11月以降に募集している放送局は少なく、ゼロからのスタートはほぼ絶望的に感じました。とりあえず出せるところはアナウンサー、総合職問わず出しました。
12月、1月と2局の地元の放送局のアナウンサー採用があり両方とも最終選考まで進みました。「何度も経験したから大丈夫だろう、地元だし」と自分に言い聞かせました。
いざ面接会場へ行くと、北海道から来た人、東京から来た人と本当に方々からきた人たちがいました。本気で受かりに来ている子は、こんな四国の片田舎(?)でも受験するのだと思いました。地元だし、絶対受かりたいと思い受験しましたが、いつも見ている番組のセット、いつも見ているアナウンサーが目の前にいることからの緊張感から、フリートークがうまくいきませんでした。結果は両方とも残念。
「あーマスコミ関係は向いていないのかな」と思い立った時、11月にエントリーシートを提出していた総合職採用の一次試験の連絡が来ました。「この放送局がラスト!ここしかない!」といった必死な思いでいっぱいでした。
1次面接はリモートでの集団面接。ほとんどがその放送局にゆかりのある受験生ばかり。
「また落ちるかも」と思いましたが、無事1次通過。
2次面接はリモートの個人面接。全面接時間合わせ15分ほど。オーソドックスな質問は勿論ですが、テレビ局ならではの「ニュースについてどう思うか」、深く聞かれました。無事2次面接も通過。
2月に最終面接の案内が来ました。飛行機で前泊し、その地について勉強しようと有名な観光地ピンポイントにピックアップして観光をしました。もちろんその日の御社の制作番組を見ることは忘れずに。
最終選考当日。面接まで少し時間があったので、放送局近くにあるスターバックスコーヒーで座り、気持ちを落ち着かせて望みました。とても重々しい雰囲気の部屋に連れていかれましたが、何度もこのような雰囲気を経験してきたからこそ、極度の緊張はしませんでした。自分自身のテレビ局で働きたいといった強い思いを今までの経験を踏まえ伝えました。面接終了時には「もう出し切った」と思えることができました。
面接から数日たち、電話で内定のご連絡を頂きました。本当にやっと長い就職活動の終わりです。憧れのテレビ局、諦めずに受験をしてよかったと心の底から思いました。
私にとって就職活動はとてもしんどいものでしたが、言葉遣いやマナーを学べ、これから社会人になるための準備期間だと思います。また、これまで生きてきた中で一番多くの人とかかわりを持つ期間になったのではないかと思います。
時間はかかりましたが、自分の悔いのないように、そして「やり切った」と言えるような就職活動をすることが一番です。なかなか思い通りにいくことができないかもしれませんが、「諦めなければ報われる」と学びました。
これから就職活動をする方にはぜひ「諦めない」「やりきった」と言えるような就職活動をしていただきたいです。頑張ってください!

コラムの内容とても面白くて読ませていただきました。就職活動のエピソードがとても具体的で、スターバックスで気持ちを落ち着かせたと書かれてあるところは、その当時の緊張感が読み手である私にも伝わってくるほどでした。
また、自分の中で悔いが残らないような、「やり切った」と思える就職活動をされたというのが本当にかっこよかったです。私も同じように悔いの残らない、「やり切った」と思える就職活動をしていきたいと思います!
情景、その時感じた素直な気持ちが思い浮かぶ素敵な文章だと思いました!
全身白いスーツでキラキラしている人を見たら緊張してしまいますよね
しかし、コラムを読み続けると、最終選考の面接終了時には「もう出し切った」と思えることができたとあり、就活が進んで心の持ち方が変わられたのかなと思いました。とても素敵なことです。
肝を据えて面接に臨みたいと強く思いました。
ありがとうございました!
コラムを読んでいる私までドキドキしてしまうくらい、当時の感情や状況がヒシヒシと伝わってきました。
途中で諦めたくなる気持ちや、それでもやはり放送局での就職を目指した熱い思いなど、就活を通しての感情の変化がすごく理解できました。きっと就活をしていく中で、理想と現実との狭間で苦しくなる時もくるのだろうなと思いました。しかし私も自分の中で悔いが残らないように、「やり切った」と思える就職活動をしたいです!
最後まで諦めず何度も受験や面接に挑んだからこそ、最後にその経験を全て活かすことができたのだと思います。途中で心折れそうな時も自分の夢に向かい続ける姿に、私も自分のやりたいことを諦めなくて良いんだと思うことができました。私も心の底から納得できる就活にしたいと思います。貴重な経験をお話ししてくださりありがとうございました!
就活の中で経験したものや今まで培ったものを身につけて活かすことが出来たからこそ、出し切ったと思えたのだろうと感じました。自分もそう思えるように自分の経験を力に変られるようにしていきたいです!
放送業界就職の難しさを知るとともに、最後まで諦めないことの大切さが伝わりました。
一つの業界を極めることもとても大切であると思いますが様々な業界に目を向け、社会人として成長していける就職活動にしていきたいと感じました。