「これからの地方テレビ局に求められること」
▼私の地方テレビ局人生
私は現在61歳、完全定年退職の65歳まであと3年少しとなりました。
現在「TSCテレビせとうち」で、事業コンテンツ局参与として、局主催のイベントなどに携わっています。
就職活動は、はるか昔の昭和の時代のことですから、あまり参考にならないと思います。
そこで、私が地方民放テレビ局に永年携わって感じたこと、今、地方民放テレビ局 (以下、地方テレビ局と略)に求められている人材とは。
そして、地方テレビ局の未来をどう見ているのかなどを、自分なりの経験やエピソードをもとに綴って見たいと思います。ある地方局テレビマンのひとり言として、ご笑読くだされば幸いです。
私は兼業農家の長男として、1959年岡山市の南部に生まれました。
大学を卒業したら岡山で家族をもって安定的な職につこうと漠然と思っていました。大学は1年浪人して、1979年東京の青山学院大学経営学部へ進みました。
充実した学生時代も終わりに近づいて、ちょうど就職活動を始めた4年生の春ごろ(1982年)、岡山にテレビの新局が出来るのではという話を聞きました。
「放送メディアに就職して岡山を元気にしたい」という強い思いもあり、その意思が受け入れられ、何とかTSCの準備室(TSCテレビせとうち 開局準備室)に入れました。かなりの競争率だったように思います。
当時のTSCは、何もない中でのスタートでしたが、私は営業内勤職の要、タイム・スポット兼任デスクの配属となり、開局前からの約4年間、番組CMやスポットCM枠の管理という地味に営業をサポートする部門を任されました。
帳票類もパソコンもハンコも、まして、ノウハウも経験も無い私にとって、キー局の「テレビ東京」などで研修してきた資料類を基に、すべて新しく伝票やシート類などをつくり、営業が契約したCMを放送するまでの社内情報の流し方や、請求書や放送確認書の発行なども実践しながら、一つずつ道を切り開いていくという社会人人生のスタートでした。
当時の日本経済は、まさにオイルショックの後を引いた経済不況の時代で、弊社は昭和で最後の開局(1985年)した弱小テレビ局。
全国的に見ても、テレビ東京系列では東京・大阪・名古屋に次いで4番目でした。しかし、私自身若さもあり、日々新しいテレビ局を作っていくんだという、誇りとやりがいと、情熱と希望をもって仕事に取り組んでいたように思います。
いつまでも営業内勤もないだろうと志願して、88年4月に本社外勤営業職の配属に。広告代理店やスポンサーまわりを始めました。テレビ広告を頂くのですが、一朝一夕には数字がとれるものではありません。しかし、前任が数字を落としていたタイミングもあり、担当した広告代理店の数字は軒並み予算をオーバーし続け、バブル崩壊後の経済が悪い中でも粘り強く営業することや、コミュニケーションの大切さなどを学んだ次第です。
95年の阪神大震災の災害報道をテレビで見て、「やはりテレビ局の本質は報道だ」と痛感し、35歳の春、希望した報道制作部に異動が決まりました。ニュース原稿の書き方から、記者リポートの視点、カメラ撮影のノウハウ、映像編集のやり方など、まさに一から先輩に色々教えてもらいました。
それから約17年間、岡山・香川のほとんどの記者クラブに加盟し、報道や制作などニュース番組や情報番組を作る側の担当として仕事をいたしました。
その後、放送広告以外の「その他売り上げを伸ばさなくてはいけない」とう社命もあり2011年、イベントなどを開催する事業部の部長に異動、これまで、様々な美術展や音楽コンサート、地元自治体と共催の催事や音楽祭、それに「リレーマラソン」や「器フェア」などを継続イベントとして立ち上げたほか、「大相撲巡業」や、コンベックスでは令和のGWに「子ども向けの大型イベント」を誘致し来場者記録を塗り替えるなど、色々充実した仕事に携わらせていただきました。
ざっくり書きましたが、地方テレビ局ではこの40年間で、色々な仕事に携わってきて、地方テレビ局の大体のことはわかりますし、ここからは地方テレビ局に永年勤めて思うことや、将来この業界をどう見ているかなどについて、一般論としてお伝えしたいと思います。
▼テレビ局に求められる人材
今後、地方テレビ局に必要な人材は、「経営感覚を持ったスペシャリストになる意欲のある若者」ということです。私の就職したころの弊社では、「一人で何でもこなせるジェネラリストになれ」と、よく指導をうけました。一人で何役もこなせる、マルチな人材です。会社にとっては、都合がいい人材かもしれませんが、人事異動で40年近くも同じ会社にいると、自然と色々な経験を積むことは出来ます。そこで、今思うのは40歳くらいまでには、自分がテレビ局の中で何をしたいのかを決めること、つまり興味があることを見つけ、専門性を見出し、スキルを磨き、「社の中で右に出る人がいないくらいの存在になること」が必要と思います。
皆さんの世代は70歳近くまで働くことになりますが、そういう専門性がありスキルや人脈を築いていれば、自分自身も目標を見失うことも、居場所が無くなることもなくないと思います。
皆さんが70歳を迎えるころは、どんな雇用の形態になっているかは私も分かりませんが、まずは、長期的にその会社にいるにしても、独立して起業をするにしても、自分に何が出来るのかどんなスキルがあるのかを人様が認めてくれる人物に成長していることが必要だと思います。
さらに言えば、「仕事は自ら創り出すもので、与えられるものでない」ということです。
これは、電通の有名な吉田鬼十訓の一つで、「働き方改革」の中で、この言葉は今や死語となりつつありますが、この言葉の真意には重いものがあります。仕事は与えられるのでなく、見つけ出し創り出すものなのです。どういった時代にあっても、そういったマインドが無いと仕事はつまらないです。
報道にしても、営業にしても、イベントにしても、自分でテーマをもって取材したり、企画提案したり、常にそういうことを考えている人と、そうでない人では、入社から40歳位の間に、かなり大きなモチベーションとスキルの差が出てきます。今や公務員であっても専門的な分野と、経済人などとの知り合い(人脈)をもっている方が、組織の中で強い存在ですし、またスキルアップに必死に資格試験に挑戦したりしている方もいます。今後の日本の企業、経済環境は、そんなに甘くないと思います。
「人事の護送船団方式」でなく「信賞必罰が明確に反映される人事制度」に。
これは公務員や民間企業、地方テレビ局とて同じことで、長期的な目標やテーマを持っているか否かで大きく変わってきます。その積み重ねが50歳代以降に、
年収や肩書・人脈や経験値といった形で出てきます。人によっては、常に不平不満を口に出して、ため息ばかりしている人がいます。そんな姿では、絶対にいい成果は生まれません。上司に恵まれないと思っても、仕事内容がつまらないと思っても、その場その場で、自分でやり方や考え方を変えて中・短期的な目標や未来像を自分なりにもって、向上心をいだき常に情報収集やスキルアップや人脈を作っておくことが必要と思います。
▼テレビ局 社内の仕事の違い
一方で、テレビ局の場合、同じ会社の人材でありながら、営業部門と報道制作部門などでは、かなり社会的ポジショニングも異なるということです。こういった違いを分かっていないと目標を見失ったり、モチベーションが下がったり、最後は辞めたくなるかもしれません。特に地元のローカルの営業部門は(東京、大阪など広告代理店が営業をしてくれるところは、そうでもないかもしれません)、広告代理店の担当者や企業の広告担当者に直接に頭を下げて広告費をもらうことになります。雨の日でも猛暑の日でもゴルフコンペがあれば欠席は許されません。飲めないお酒も自腹を切って同席することもあります。
それが向いている人とできない人がいるのも事実ですが、お金(広告収入)をもらうということは、そういうことであり、営業ならではの様々な苦労もあるわけで、それも、苦しんでするのでなく、「いつかは自社の新派のお得意になっていただける」と信じて、その部署のミッションや数字目標についていかなければなりません。
報道部門の場合は、県知事でも総理大臣でも、大企業の社長でも、記者会見という公式の場でも、独自取材でも、突っ込んだ質問や本音を尋ねることができます。これは報道機関の報道たる部分ですが、商業放送の一方で、ジャーナリズムという「第4の権力」の一翼を担っているわけです。その権力の濫用はあってはならないことですが、真実を掘り下げて調査し、真理と真相を追求し、真実を追い求めて報道するという姿勢を、報道機関には期待されていますし、視聴者の期待に応える責任と義務もあります。
民放は、広告をもらっている商業放送でありながら、報道機関でもあるという両方の側面を持ちながら、この多メディアの時代に歩み続けています。それは今後も簡単に変わるものではありません。
- 今後のテレビ業界について
全国の民放地上デジタル放送局126のテレビ局が、「地域密着、地域に根差して」など同じような言葉を、局のキャッチコピーとしてアピールしています。そして今、10代20代の若者のテレビ離れが顕著で深刻な問題です。そんな中で、これからの地方テレビ局には何が求められるのかを考えます。それは、各局の「ブランディング戦略」だと思います。今までほとんどがキー局からの番組を受け流しして、それで、この約65年間、地方テレビ局は続いてきました。しかし、これからは「ステーションの個性」、「こだわり」、「特徴」、といったものを番組面や広告面で生かして、イメージのさらなるアップや、特徴づけをしていかないと、この多チャンネルの時代、どの局の番組だったかさえ覚えてもらえということになります。「ブランディングとは何か?」など書きたいことは縷々ありますが長くなりますので、簡単にその局の「個性と特徴」だと思ってください。
「あなたの局はこの番組のここがいいね。ここがよかったよ」と言われれば、それはそれで個性として定着し、ブランディングが出来つつあることだと思います。また別の尺度で、テレビには視聴率や視聴質という大きなこともありますが、当然それらと両立していくことも大変重要な課題です。
さて、縷々書きましたが、さて、民放地方テレビ局についての将来性について私見を述べますが、私の見方は多チャンネルの中でさらに競争の激化は避けられず、10年後は、BS、CS、WEB、ケーブルテレビなど、より多くのテレビメディアの中にあって、マーケットが大きく個性的な局ほど生き残りの可能性は高いと思います。個性のない地方テレビ局はなかなか厳しいだろう」ということです。どれだけ、とんがった番組を作っていくか、視聴者の知的好奇心を満足させられる番組が制作出来るか、今後の10年間が勝負の期間だと思います。
近い将来、地方テレビ局の合併や再編はありえることでしょうし、キー局との関係や、ネット保証料金の値下げや見直しも進んでいくと思います。そんな厳しい先行きの中で、地方テレビ局が生き残っていけるかどうかは、「ブランディング戦略」や、「番組の内容」や、「多くの固定ファン」、そして「自社を支えてくれる広告主」があるかどうかであり、そして何より時代に対応して進化し続けていくべきは、テレビマン自身だと思います。そうでないと、この多チャンネル時代のサバイバル競争には生き残れないと思います。
長くなりましたが、ひとつのテレビ局の立ち上げから約40年間勤め、業界を見つめ続けてきた「テレビマンのひとり言」と思い、これから社会に出ていく皆様の参考にしてくだされば幸いです。
1959年7月 児島郡藤田村錦に生まれる(現:岡山市南区藤田)
1978年3月 県立玉野高校 普通科卒業
1983年3月 青山学院大学 経営学部経営学科卒業
1983年4月 現:テレビせとうち株式会社 開局準備室入社
1984年10月 テレビせとうち株式会社 会社設立
1985年10月 テレビせとうち株式会社 放送開始 業務部配属(タイム・スポットデスク)
1988年4月 本社 営業部
1995年4月 本社 報道制作部(この間、倉敷支社、四国支社報道部、編成部も勤務)
2011年4月 事業部長
2017年4月 事業局長
2020年7月 事業コンテンツ局 参与
趣味:旅行、ドライブ、音楽鑑賞
資格:1級イベント業務管理士
今後、地方テレビ局に必要な人材は、「経営感覚を持ったスペシャリストになる意欲のある若者」、「社の中で右に出る人がいないくらいの存在になること」が必要。
身に沁みます。
大学の講義ではディスカッションが多いのですが、確かに、知識があって「これはこう」と言える人はもちろんいいですが、「これはこうこうこうだからこう。だってこういう経験をして、こう思ったから。」など、自分の経験に則っていたり、「この分野は得意!」など、自分の得意分野のある学生との会話は興味深いです。
私も、自分なりのスペシャルを極めます!ありがとうございます!
コラム拝見させていただきました。私自身が地方テレビ局の就職を志望しているため、大変興味深かったです。
アナウンサー志望ではあるのですが、地方局では専門職としてのアナウンサーではなく様々な業務に携わる必要があると以前お話しを伺っており、関係のある内容ばかりで勉強になりました。
まず、求められる人材で「スペシャリストになる意欲のある若者」とおっしゃっていましたが、まさしく今私が悩んんでいる部分でもあります。自分の関心のあるものにどれほど情熱を持てるか、またそれをどうやって仕事にしたいと考えているのか、これから自分としっかりと向き合って考えていく必要があると思いました。
また、今後の地方テレビ局という点においては、多チャンネル時代において、個性のあるとんがった番組を作れるテレビ局が生き残るというお話に納得しました。「スペシャリストになる意欲のある若者」が求められるのも、一つのことに情熱をかけられる、語弊があるかもしれませんが「マニアックな人」は一見変わり者のようにも見えても、人と違った見方で面白い番組を作れるからなのかと思います。
自分が情熱をかけられるもの、また、もしテレビ局に入社したらどんな番組作りをしたいかという観点を持って地方局のアナウンサーになることを諦めずに目指していこうと思います。
私もテレビ業界を目指したいと思っているので、40年間勤務されていた方のお話をしることができてとても興味深い内容のコラムでした。私は自分のやりたいことに誰よりも情熱を注いですることができる自信があります!絶対に夢を叶えたいと思います。素敵なコラムをありがとうございました。
仕事は自分で創り出すもので、与えられるものではないというマインドが重要だという話がとても心に響きました。ただ仕事を受け身でこなすのではなく自分の意志を持って取りに行かないと、スキルアップも人脈を広げることもできず良い仕事はできないのだとわかりました。今後の企業や経済環境は甘くないという言葉で、自分の意志が弱いという欠点から目を逸らし、なんとかなると甘い考えを持っていたことを恥ずかしく思います。常に自らの成長を考え、積極的に行動できるような人間を目指したいと思います。
テレビ業界に限らず、「経営感覚を持ったスペシャリストになる意欲のある若者」はどの会社にも必要だなと感じました。会社は人でできているため、自分は会社の一員であるという自覚と向上心をもって働く人が多ければ多いほど成長につながるのだと思いますし、会社の成長は働く人に還元されると思います。自分もそのような若者になりたいため、熱を持って打ち込めるものを見つけていきたいです。
Thankyou for your inspirational column! Your message about becoming an irreplaceable specialist in a company was conveyed really well. I think that that want to stand out for your skills must be why you’ve been able to work in television for 40 years and become so knowledgable about the industry. I’ll approach my job-hunting with the same aspirations!